理工学部生の憂鬱

日々思った事、やってることの備忘録

ぼくらが旅に出る理由

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小沢健二氏は「ぼくらが旅に出る理由」で
“ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり 誰もみな手をふってはしばし別れる”歌っている。
ぼくらが旅に出る理由は一体なんだろう。

 

旅ときいてスナフキンを連想される方が多いだろう。孤独を好み、ムーミン谷に根っこを下ろさずリュックを背負って旅の中に身を置いている。何事にも固執せず気ままに旅をする姿に憧れる御仁も多いことだろう。
しかし旅を続けるということは何処にも属せないという事と表裏一体だ。
上橋菜穂子氏の「守り人シリーズ」の主人公バルサもまた孤独な旅人だ。彼女が旅をする理由は悲劇そのものだ。幼少期、故郷の権力争いに巻き込まれ暗殺されかけたところを父の友人ジグロに助けられ、以後用心棒として漂浪の旅を続けている。タンダに身を落ち着かせるよう諭された時も、こんな生き方しかできないと苦々しげに語っている。
さすがにバルサのように壮絶な理由で旅を続ける者は、そうはいないと思うが、いずれにせよ旅人はコミニュティには属せない。スナフキンにもバルサにも友人や彼らを心から心配する人はいるが、それは人の輪の中にいるだけで社会的なシステムの中には組み込まれていない。
旅に出るということは肩書きを捨て、一個の人間として、身一つを風雨に晒すことに相違ない。

人生を旅に例えることもある。
新川直司氏の「四月は君の嘘」ではスヌーピーやモーツァルトを引用して宮園かをりが有馬公生を旅に出よう誘っている。ここでいう旅は具体的な旅ではなく、ピアノが弾けないと俯く彼を舞台へと引きづり上げるため、挑戦しよう、足を踏み出そうという意味合いで使っている。
前に進むことを選んだ彼は、大きく変わった彼の演奏について詰め寄るライバルに「僕らはまだ旅の途中にいる」と清々しい顔で語っている。
自分探しと称して旅に出る人もいる。Appleの創業者の1人のスティーブ・ジョブズも若かりし日にインドへ旅に出ている(散々な目にあったらしいが)
旅は成長の過程だ。

ぼく自身はどうだろうか。基本的に一人旅に行くことが多い。漠然と旅をしたいと思って旅に出ることはなく、先に行き先に興味を持ったり魅力を知ったりして、実際に見てみたい触れてみたいと旅に出る。目的ありきの旅なのだ。見たことのない新しいものを知るための好奇心を満たすために旅に出る。

だが必ずしも史跡など観光スポットを求めて旅行に行くばかりではない。
温泉や自然に目を細め、のんびりとするために旅に出ることもある。
それにわざわざ飛行機だ新幹線だに乗って遠くまで行かなくても、ぼくの住む愛知やその近隣にも多くの観光地がある。地元でも好奇心を満たすことはできる。
日常から脱却し、旅という非日常を楽しみたいのだ。
時雨沢圭一氏の「キノの旅」でも1国の滞在は3日間がちょうどいいと主人公が語っている。多くの国を巡るためというのが大きな理由だが、あまり長くいると馴染んでしまい旅人ではなくなってしまうという恐れも理由としてあるそうだ。旅という非日常も、気を抜いてしまうと日常になってしまう。
長く平凡な日常があるから、旅という非日常が輝きも持つ。

 

旅に出ると人間はむき身になる。住んでいる地域での肩書や役割をかなぐり捨てて、何者でもない旅人になる。偽りや背伸びのない、等身大の自分でいられる。そこに非日常というスパイスも加わる。
それゆえに旅での刺激に敏感になり、好奇心を揺さぶられたり、成長を促されたりもする。
心の渇きを潤し、柔軟性を持たせる。これがぼくが旅に出る理由だ。